日報と週報

20240122 『習慣と脳の科学』 書評

昨日はゲームしすぎで平気で睡眠習慣を破壊してしまった。

やはりシステム的に環境を設計しても最後には意思が挟まるという残念例である。

しかし私の思想信条は意思を行動から排除することである。なぜこうなってしまったのかは後で解説し、また生活を改善していきたい。

 

記(1)

今日の任務クエ(最低目標を併記)

本日の目標。睡眠習慣を取り戻すこと。以上

とっても面白い本(昨日見つけたもの)を早く読みたいのと面白そうな説明会に出るのが今日やることだが、残り時間少ないので睡眠習慣の保守、今日は守りの日であるということを目標にも反映させたい。

 

最低目標:1時にPCを閉じる

 

あとは昨日の日報に目標のFBをしておくことかな。Bad FBだが仕方ない。

今日の任務クエの結果

両方達成。ナイスやね

記(2)

これの好きなフレーズをいくつか引用しながら自らの目標達成に対する基本理念を語っていきたい。

 

まず、監訳者解説が面白い。一般向け科学書で何が起きているか、「再現性の危機」というワードを使って解説する。科学者は自分の研究分野を面白く話したいし、いかに有意義であるかを伝えたい。読者は複雑な事象を一元に整理することで知的快楽を得たい。この両者の利害があってチェリーピッキングが起こる。これは普通の一般向け科学書でも、自己啓発本でも、記事でもどこでも起こっていることであると神谷は言う。

こうした背景の中で、本書は「エビデンスを吟味するためのリテラシーを提供しながら近年の知見を整理」したものであり、故に監訳を引き受けたと説明している。無論これにも多少のおべっかが使われているとは思うが、一般向け科学書ですらもそうしたことが問題とされているのだから、過度な一般化によって知的快楽を得る行為については客観的に捉えなければならないと感じた。

 

「途方もない主張には、途方もない証拠が求められる」

現実には意味がないような僅かな効果量であってもゼロとの違いが検出され(統計検定においては)優位になってしまう

ここらへんの文章は、心理学や脳科学に関する学術研究に真摯に向き合い結果を出すハードモードさに触れられたものだが、自分たちが研究を精査するときも有用な言葉だと思う。「がんリスクが3倍になる」って言われても、もともと0.0002%だったものが3倍になるんじゃ意味ないよね、とかね。

そして最初の「途方もない主張には、途方もない証拠が求められる」という言葉は楽観主義の自分からしたら印象深い。『Zero to One』でピーター・ティールは「あなただけが知っている真実はなに?」と聞くし、マーケティングの文脈では「インサイト」なんて言葉もよく耳にするが、意外性のある真実を相手にするときは、相当な覚悟を持って証拠を揃える(チェリーピッキングでも意味のない変化でもない)ことが必要であり、意外性のない、事前見積もりで可能性の高いものに正しく挑戦すること(「現象を捉える」なんてワードも最近マイムーブだが)のほうがビジネス文脈では価値がありそう。

 

さて次も面白い。神谷氏は自身の研究分野を「脳と心の関係を『コードするものとコードされるもの』としてとらえ」たものと述べている。「特定の因果の向きを想定するわけではない」ので、研究そのものから離れた独自の解釈になってしまうが、「心は脳の神経系によって規定されるものであるから、心を問題として捉えたとき、真に解決策としてアプローチすべきは脳であることが多いのではないか」と感じている自分にとって面白いなと思った。

 

そして従来の脳と心に関する議論を参照し、本書の背景も整理してくれている。

プラトンが、生存本能や情動と理性の逃走として心を描いた古典や二重過程理論などの、本能と理性の葛藤というこの単純な二分法には警鐘が鳴らされているようで、”The Mind is Flatという著名な科学書もあるらしい。 ま、脳科学は難しそうですわな。

 

さて、本編に移る。

すべての教育において重要なことは、神経系を敵ではなく味方にすることである。......
そのためには、できるだけ早い時期に、できる限り多くの有用な行動を、自動化し、習慣化しなければならない。.......

何も習慣化されておらず、すべてに対して優柔不断な人間ほど、惨めなものはない。......毎日の起き、眠る度、一日の仕事を始める度に、その行動について明確な意志を持って熟考しなければならないからだこのような人の一日の半分は、習慣化していればほとんど意識せずにできるはずの事柄を決めたり、悩んだりするために費やされているのである。

ウィリアム・ジェームズ『心理学』より

「習慣とはなにか?」を定義している第一章冒頭では、自動性という概念が「習慣」と大いに結びついていることを説明している。

自動性とは、「ある行動を意識せずに自動的に行える度合い」と説明されている。習慣形成にとって大事なのは、「自動性を高める」と言い換えることができるだろう。

 

(ウーレットとウッドの研究によれば)、ルーチン行動の多くは目標や意図よりも、過去にその行動を取った回数の観点からのほうがうまく説明できる

つまり、「過去にその行動を取った回数」がそのルーチンの自動性を高める(そのルーチンに対する目標や意図ではない)ということだろう。これは直感的にも頷ける。

 

特定の状況に対する感情的な反応も、習慣になることがある

そしてこの習慣は、身体的行動を伴わず、「心の習慣」として現れることもある。あがり症やメンヘラ、高所恐怖症などが上記に当てはまる。もし自分のメンタリティに負い目を感じたなら、それを意志で何とかするのでも、生来のものとして受け入れるのでもなく、それが習慣として日常の中に組み込まれているという事実、アプローチそのものを客観的に捉えた上で対処法を考えたほうが良いだろう。

 

次が重要。でかい文字でいきます。

 

習慣は意図的な目標志向型の行動とは少なくとも2つの点で異なる。

一つは、適切な刺激が現れると自動的に作動するということ。

もう一つは、一度引き金が引かれると、目標に関係なく実行されるということだ

つまり、本書において、目標志向型の行動(私が人生において最も苦手なものとしているうちの一つだ)と比較したときに、

習慣とは、「適切な刺激が現れると、目標に関係なく、自動的に作動するルーチン行動」だというふうに説明している。

 

これは習慣形成において必ず抑えておかないといけない論点である。
スマホを開いたら自然にYoutubeアプリを開いてしまっている」という行動を下に考えよう。

まず「スマホを開く」こと、そして「Youtubeアプリのアイコンを見る」ことが刺激となり、自動的に親指がそのアイコンをタップされるように自動的に作動する。

そして、本来Youtubeは面白いコンテンツを見る、暇つぶしをするだったりの目標のために見るはずだが、一度スマホを開くと、それによって「引き金が引か」れ、レポートを書いている最中だろうが他人に迷惑をかける仕事の最中であろうが関係なくYoutubeアプリを開くのだ。この時点で「暇つぶし」という目標から大幅に離脱してしまっている。

 

①習慣とは、「適切な刺激が現れると、目標に関係なく、自動的に作動するルーチン行動」
②「過去にその行動を取った回数」がそのルーチンの自動性を高める

以上をふまえると、習慣形成をコントロールするためには、以下のようなアプローチが妥当かもしれない。

 

習慣形成のアプローチ仮説

前提

①習慣とは、「適切な刺激が現れると、目標に関係なく、自動的に作動するルーチン行動」
②「過去にその行動を取った回数」がそのルーチンの自動性を高める

 

アプローチ

今ある悪習慣の場合

「適切な刺激=引き金」自体をそもそも出現させない

※適切な刺激が現れると、目標に関係なく自動的に作動するので、引き金が引かれた以降のことは、(少なくとも目標志向型の行動ではなく習慣において)自身では何も変えられない。

 

新規の習慣形成の場合

仮説ベースで、ステップに分かれる。

ステップ1:適切な刺激=引き金を日常生活の中で用意する
(この引き金が意志によって引くものであってはいけない)

ステップ2:将来的にルーチン行動として自動的に作動させるため、2週間程度は、引き金から目標行動までの行程を完遂する
(用意した刺激を受けても目標行動を行わないことは、あってはならない

ステップ3:ルーチン行動として認められる程度になったら、次の目標ルーチン行動へステップ1から始める。(ルーチン行動が脳から「剥がれた」場合、またステップ1,2を行う)

 

※「引き金から目標行動までの行程を完遂することに慣れさせる」フェーズは残念ながら意志が必要である。だから、せめて行程の完遂に関わるあらゆるストレスは排除して必要な意志を極限まで低めることが必要だ。そのためのノウハウで現状手札として持っているのは、「最低目標のハードルを下げる」、「行動フローを明示したボードを机や枕元に設置する(次行動への思考を不要にする)」、くらいだろうか。

※この「ルーチン行動として認められる程度」というのがどれくらいの期間なのかは難しいので、今後も探っていく。

以上の習慣形成アプローチに関しては定型文にしておいたので、今後のブログ記事でも見るチャンスがあるだろう。

 

 

 

 

今日の音

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「最終回のストーリーははじめから決まっていたとしてもいまだけはここにあるよ」って歌詞いいですよね。どうせ俺もみんなも100年後には灰になっているわけで。だからこそ「いま、ここ」で「全てを生きてやる」というポジティブなメンタリティが素敵。

 

そしてそれがすっと歌詞で入ってくるメロディラインですよね。普通こういうメッセージってメロディには邪魔なんですよ正直。だから洋楽とかラップとかR&Bとかが好きなんだけど。